本展について

 鏑木清方(1878-1972)の代表作として知られ、長きにわたり所在不明だった《築地明石町》(I927年)と、合わせて三部作となる《新富町》《浜町河岸》(どちらも1930年)は、2018年に再発見され、翌年東京国立近代美術館のコレクションに加わりました。本展は清方の没後50年という節目を得て、三部作をはじめとする109件の日本画作品で構成する清方の大規模な回顧展です。
 清方と言えば上村松園と並び称された美人画家として定評がありますが、意外にも、彼には美人画と言うには収まりの悪い作品が多いことも事実です。それは清方が市井の人々の生活、あるいは人生の機微を描こうとしていたからに他なりません。女性の姿かたちや所作、いで立ちだけでは決して成立しない―そんな清方作品の個性に着目する本展では、ラインナップを精選して、彼の作品がもつ物語る力を読み解きます。この展覧会を見たら、もう、上村松園と区別がつかないなんて言わせません。

鏑木清方ってどんな人?

 東京神田の佐久間町に生まれる。本名は健一。父は幕末に戯作者として活躍し、維新後は「東京日日新聞」や「やまと新聞」を創刊した條野採菊。13歳で水野年方に入門し挿絵画家として身を立てた後、日本画家を目指した。仲間と結成した烏合会で研鑽を積み、1909(明治42)年に第3回文展に初入選。浮世絵をベースにした平明な姿かたち、明るい色調をもつ美人画によって画壇での地位を築いた。大正時代半ば頃からは社会との接点をもつ作品世界を模索し、金鈴社のグループ展等で研究を重ねる。1923(大正12)年に起こった関東大震災とその後の復興を境に、自身を育んだ明治時代を回顧する主題に新たな画境を開いた。展覧会の観客に向けた会場芸術に対し、ひとり机上で楽しむような小画面の作品を指す「卓上芸術」を提唱し実践したのもその頃から。戦後は1954(昭和29)年に文化勲章受章。
 1972年(昭和47年)に93歳で生涯を閉じるまで、“専ら市民の画境に遊ぶ”小品に、心のふるさとを描き続けた。清方が戦後に暮らした鎌倉雪ノ下の住まいは、現在、鎌倉市鏑木清方記念美術館となっている。
*「自作を語る」1971年『鏑木清方文集一』

鏑木清方(かぶらき・きよかた 1878-1972)

鏑木清方
(かぶらき・きよかた 1878-1972)

鏑木清方(かぶらき・きよかた 1878-1972)

鏑木清方
(かぶらき・きよかた 1878-1972)

 東京神田の佐久間町に生まれる。本名は健一。父は幕末に戯作者として活躍し、維新後は「東京日日新聞」や「やまと新聞」を創刊した條野採菊。13歳で水野年方に入門し挿絵画家として身を立てた後、日本画家を目指した。仲間と結成した烏合会で研鑽を積み、1909(明治42)年に第3回文展に初入選。浮世絵をベースにした平明な姿かたち、明るい色調をもつ美人画によって画壇での地位を築いた。大正時代半ば頃からは社会との接点をもつ作品世界を模索し、金鈴社のグループ展等で研究を重ねる。1923(大正12)年に起こった関東大震災とその後の復興を境に、自身を育んだ明治時代を回顧する主題に新たな画境を開いた。展覧会の観客に向けた会場芸術に対し、ひとり机上で楽しむような小画面の作品を指す「卓上芸術」を提唱し実践したのもその頃から。戦後は1954(昭和29)年に文化勲章受章。
 1972年(昭和47年)に93歳で生涯を閉じるまで、“専ら市民の画境に遊ぶ”小品に、心のふるさとを描き続けた。清方が戦後に暮らした鎌倉雪ノ下の住まいは、現在、鎌倉市鏑木清方記念美術館となっている。
*「自作を語る」1971年『鏑木清方文集一』